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2011年5月19日木曜日

約50年前、世界王座を奪取して日本国民に勇気を与えた白井義男

半世紀前となる1952年5月19日、白井義男が日本人初の世界王者となった


後楽園球場に造られた特設リングで行われた世界戦には4万人が集まった



ポールを建てた矢倉のようなものに僅かな照明が設置されたリング



中央右が白井義男、右端がカーン博士。



翌日の新聞は日本人初となる快挙を一面で報じた


カンガルーとの一戦で負けて以後(昔の縁日でのお祭りなどではカンガルーとボクシングをする催しがあった)、ボクシングにのめり込んだという白井少年。

その後、プロデビューすると8戦全勝。戦時中は招集されて海軍に入るも、戦後は生物学者アルビン・R・カーン(ボクシング経験は無し!)に見いだされて、日本人初の世界王者へ階段を駆け上がる。1952年5月19日、世界フライ級王座に挑戦。ここまで1勝1敗の王者マリノに15回判定勝ちし王座獲得。以後、4度の防衛を果たす。

多くの逸話を残す、白井義男氏とカーン博士。偶然の出会いから、ボクシング経験のないコーチのもとでの練習。そして王座獲得。偶然から出発した二人が、日本国民を勇気づけるまでになるとは。カーン博士はその後も白井氏と晩年をともにして、1971年に他界する。白井氏も2003年に他界。


この「勇気づける」という言葉や感覚が、現在よりもっと重みのある時代。白井氏の勝利によって、多くの国民が生きる自信を持つことができた。白井義男とは戦後の日本国民における誇りであった。




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